私説【直江兼続は湯沢生まれだった】 (漱石枕流)
2009年のNHKの大河ドラマ「天地人」の放送が終了しました。 直江兼続が生まれたのは、本当に南魚沼市(六日町)なのでしょうか?。 上田庄に生まれたということで、上田庄=南魚沼市という解釈だと思いますが、 直江兼続が生まれた戦国時代の上田の庄には湯沢町も含まれます。上田庄のどこかで あって、南魚沼市と断定できる資料は無いのではないかと思っています。 以下に、直江兼続が湯沢生まれではないかと思われる状況証拠(?)を書いてみたいと思います。
写真は、泉福寺跡(現在の宝珠庵)

1、直江兼続は、直江家の養子となって直江家を継ぐまでは、樋口与六といいました。 湯沢にはこの時代から続く、樋口家が何軒もあります。この樋口一族の樋口主水助兼一 は、湯沢の主水山大岳寺の開創にゆかりがあり、湯沢小学校近くに館があったと伝わり ます。樋口主水助兼一は、上杉謙信亡き後の家督相続争いである「御館の乱」の折、 湯沢にある荒戸城での戦で亡くなりました。
樋口主水助兼一は上田長尾家の家来として、湯沢に館を構え、村殿として 役務を行っていたと思われます。湯沢小学校近くには、主水という地名が残り、 主水公園という公園もあります。また、ここは江戸時代の旧三国街道があった場所でもあります。
樋口主水助兼一は、直江兼続の父と言われる樋口惣右衛門兼豊の兄弟という説がありますが、 名前もよく似ています。樋口主水助兼一の部下または同僚として樋口惣右衛門兼豊の 仕事場が湯沢であったとしても全く不思議ではありません。

2、湯沢町石白にある臨済宗円覚寺派宝珠庵、この宗派は鎌倉時代、この上田の庄を 支配した鎌倉武士によって伝えられた宗派です。上杉謙信の死後、起こった家督相続 争いの「御館の乱」の折、小田原北条氏によって、ここにあった泉福寺と いう寺が焼き払われ、乱の後に直江兼続により、再興されたと伝わります。 自分の出生の地であり、樋口家の菩提寺であったからこそ再興したのではないでしょうか。 また、直江兼続は、米沢に移封された後に「禅林寺(現在は法泉寺)」という 臨済宗の寺を創設して、ここの中に禅林文庫という藩士教育のための学校を作りました。 また、京都の妙心寺にも直江兼続の墓所があります。ここは、臨済宗妙心寺派の大本山です。 従って、直江兼続は、終生臨済宗の門徒だったと考えるのが正しいのではないでしょうか。 不思議なことに、これだけ直江兼継との係わりの深い臨済宗のお寺は、 宝珠庵のほかに南魚沼市に関興寺・龍澤寺などがありますが、 旧塩沢町が新潟県内の北限で旧六日町の上田長尾氏の主城と言われる坂戸城跡近くにはありません。

3、「直江兼続は、坂戸城下で生まれた」と書かれていることが多いようです。坂戸城下とはいったいどこでしょうか?。 魚野川周辺の古くからある集落は、魚野川から離れ、山沿いの高い場所にあります。 樺野沢城跡・関興寺・薬照寺・雲洞庵・普光寺・・・ みな魚野川より高台の山沿いにあります。坂戸城跡近くにはありません。魚野川の治水ができない時代には、魚野川沿いに 住むことはできなかったことだと思います。まして、大きな沼地であった現在の六日町駅周辺に住居することなどありえません。 銭淵公園が河川改修でできるまで、魚野川は坂戸山の目前を流れていました。 従って、坂戸城というのは典型的な戦城であって、城下町など存在しなかったと考えるのが正しいと思います。

「直江兼続は主水公園から越後湯沢駅周辺の樋口一族のどこかの家で生まれ、その後坂戸城の近くに転居した」 と考えるのが正しいのではないかと思っております。なにぶん、勉強不足な私ですので、どなたか 「坂戸城近くのこのあたりで生まれた」という資料を示して、教えていただければと 思っております。教えていただけるかたは、下記のメールアドレスにメールをいただけると 幸いです。

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